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マースリ王女の伝説パート2
- 2007/04/24(Tue) -
昨日のマースリの伝説パート1の続きです。
 


mahsuri1 
マースリの処刑から間もない1821年、ランカウィはシャム軍に侵攻されました。 攻めてくるシャム軍を飢えさせようと、ダトー・カルマ・ジャヤは島の米を全部パダン・マット・シラッに集めて焼いてしまうように命じました。

カンポン・ラハ (ラハ村) にあるパダン・マット・シラッの封鎖された一画では、いまだに焼け焦げた米の残骸を見ることができます。 それは、雨が降った後によく出てきます。

こんなに長い月日が経ったのだから、米は土になってしまうはずだと思う人もいるはずです。 自分の目で、見たり経験したりしなければ、信じられないことだってあるのです。 この村長とその息子達はシャム軍との戦いで戦死してしまいました。 村長の妻さえも、死を逃れることはできませんでした。

マースリの死から数十年後、ランカウィの人口は減少し、苦難時代に突入します。 不運続きに悩まされ、この島は荒れ果ててしまいました。

マースリの家族はランカウィを去り、タイに移り住みました。 2000年に ケダ州政府が プーケット島に住む彼らを見つけ出すまで、彼らの居場所を知る者は居なかったのです。 州政府は、彼らをランカウィに招待し、マレーシアへの永住権も提供しました。七代に亘るマースリの呪いの終わりは目前です。ランカウィの人々は、マースリの子孫がランカウィに来たら、悲しい過去を忘れ、ランカウィの繁栄と発展が期待できると思いました。

               wan aisha
        有名な先祖マースリの肖像画の前に立つワン・アイシャ

偶然の一致かどうか・・・マースリの子孫の第七世代には子供が二人居るのですが、その内の一人である(2003年当時)14歳の美しい少女、ワン・アイシャ・ナワウィはびっくりするほど ずいぶん昔に描かれたマースリの肖像画にそっくりです。 マースリの子孫は、ランカウィに戻りマレーシアの市民権をとるかどうか、まだ決めかねており、プーケットに帰ってしまいました。

マレーシアの人々にマースリを紹介したのは、マレーシアの初代首相の故トゥンクー・アブドゥル・ラフマン・プトラ・アルハジです。 若い頃 ケダ州の役人だったトゥンクーは、仕事でランカウィを訪れるたびに、マースリのお墓にお参りしたいと思っていました。 でも墓の在り処を知る者は一人もいませんでした。 「マースリの墓を探し出そう!」とトゥンクーは決心しました。 なかなか見つからなかったのですが、初心貫徹の人トゥンクーは、辛抱強く探し続けました。 ある日、下生えの藪の下に隠れた一つのお墓を発見しました。

それがマースリの墓であるという記しは何もなかったのですが、トゥンクーは見つけたと確信しました。 トゥンクーは中国人の業者にマースリのお墓を建てるように頼みました。 マースリのお墓が建てられて間もなく、トゥンクーは昇進し、後にマレーシアの初代首相になったのです。 そしてマースリの墓をタダで建てた業者には、有利な仕事が舞い込むようになり、商売が繁盛するようになりました。

事実であれフィクションであれ、この呪いは過去七世代の間、ランカウィに破壊と悲運をもたらしたと信じられています。 以前のランカウィは、村人よりバッファローの数のほうが多いとまで言われていました。ランカウィが繁栄するようになったのは、つい最近の1980年にマースリの直系子孫の第八世代アイシャ・ナワウィが生まれてからのことです。

マレーシア人にとって、マースリは伝説以上のものです。 彼女は「真実・善良は必ず勝利を収める」という言葉の典型だからです。 そして、マレーシアを植民地支配から解放したように、トゥンクーがランカウィ島をその過去の束縛から解き放ったのです。



makam mahsuri現在のマースリの墓は、ランカウィの丘から採石された白い大理石で作られています。 白い色は、彼女の潔白を象徴しています。
その近くには彼女が使っていた井戸があります。
墓の近くには、彼女の子孫の写真が展示されています。


abcmalaysia.com のご厚意により、写真の掲載を許可していただきました。




歴史学者によると、マースリの伝説には 少なくとも14のバージョンがあるそうです。

2000年にマースリの子孫がランカウィに来て語ったことによると、マースリの不貞の疑惑が 上のバージョンとはちょっと違います。


旦那が留守の間、マースリを誘惑しようとした旦那の弟は マースリに拒絶され、それを逆妬みして兄(旦那)にマースリが不貞を働いているという嘘の手紙を書いたのです。
その手紙を読んで怒り狂った旦那が、マースリの処刑を命じました。
マースリの処刑後、旦那とその息子はプーケットに移り住んだそうです。




Return of Mahsuri Programme

 来る5月に ランカウィでは 「Return of Mahsuri (リターン・オブ・マースリ)」というフェスティバルが開催されるそうです。

そのために、Mahsuri(マースリ)という名前を持つマレーシア人を 50名 募集しています。
応募者は、マースリという名前のついた理由と写真、そしてマレーシア人である証明(マイカードの写し)の送付が必要です。


このブログを見ている人で、マースリという名のマレーシア人は居ないと思いますが、一応、応募の連絡先を書いておきます。

   54, Anjung Pelancungan Desa, Bayas,    Mukim Ulu Melaka, 07000 Langkawi, Kedah.
   電話: 012-478 3748  Aziz (担当者)




選ばれた50人のマースリさん達は、マースリ王女が住んでいたKampung Mawat (カンポン・マワッ マワッ村)に滞在したり、彼女が処刑された場所 Padang Mat Sirat (パダン・マット・シラッ)での催し物に参加したりするそうです。
パダン・マット・シラッはBeras Terbakar (ブラス・テルバカー 焼け焦げる米)、黒く焼け焦げた米が見れる場所でもあります。

 
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コメント
--
もう続きが読みたくて読みたくてたまらなかった ひーさん の翻訳でした。
この手の書き物好きかも。
マレーシアと陸続きのタイ南部にマレーシア系の方が多いのはそのせいですかね。
顔つきもタイ人と微妙に違っていますもの。
六道輪廻ならぬ七道輪廻です、その子は。
で、ランカウィの今の住民の方たちはこの伝説をどのような気持ちで受け止めているのでしょう?
2007/04/24 20:07  | URL | yamaoji #-[ 編集] |  ▲ top

-興味深い-
いつの世も、男と女、嫁姑の争いがあり
女(嫁)が酷い仕打ちをされる・・・
でも、祟りとか復讐とか呪いとか・・・
怒らせると、女は怖いよ~v-12

ランカウィ島の興味深い伝説を教えていただき
ありがとうございました。
2007/04/24 15:34  | URL | マサラッキ #rIUCOUnk[ 編集] |  ▲ top

-こんにちは-
こんにちは、ぺがさすさんのお知り(変換ミス?)にくっ付いて来ました。
ルソン島・・・にお立ち寄りありがとうございます。
美女の伝説切ないですが「祟り」で仕返しするところは
現実的???怖~~~
台北の写真はそのまんま人畜無害の最新映像です。
マースリさんの肖像から聖母マリアをイメージするほど
フィリピンにどっぷり漬かっています。
漬かると言えば自作青パパイヤの漬物がうちの嫁さんに
褒められたので、フィリピン産青パパイヤ漬物屋をしようかと
企んでおります・・・美容と健康に抜群の効果あります
(みのもんたの受け売り)是非お試しくださいm(_ _)m
2007/04/24 08:48  | URL | papahapon #OQOHv7Dg[ 編集] |  ▲ top

-なるほどねぇ-
シャム軍というと、今のタイ。
タイに攻められた過去があるのに、タイ(プーケット)に移住したマースリーの子孫たち。興味深いです
それと、そのマースリーそっくりの14歳の少女は、マースリー王女の生まれ変わりでしょうね!
呪いがとけて良かったです!
そして、マースリーのお墓を作って手厚く弔った方々が、その後幸運に恵まれたというのも、納得!です。

長い翻訳、ありがとう~v-218
2007/04/24 06:01  | URL | ぺがさす #g7r.6ZAU[ 編集] |  ▲ top


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