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とってもマレーシアンな風景
- 2007/09/01(Sat) -
16

メルデカ広場前で信号待ちのバイク。
二人乗りのバイクの後ろは、トゥドン(イスラム教徒が頭に被るスカーフ)をまとったマレー人女性がヘルメットを被っている姿。 
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バイパス手術を受けたマハティール博士
- 2007/09/07(Fri) -
メルデカ・デイの花火に失望・気落ちして、発熱して寝込んでいる間、コンピュータは使わなかったけれど、新聞には時々目を通していました。
新聞に載るメルデカ式典の写真に、マハティール博士の姿がない・・・

マレーシアの発展の父であるマハティール博士が マレーシア50周年の式典に登場しないのはおかしい。 
仲が険悪になったバダウィ首相が意地悪してトゥンを呼ばないのかな・・・? 
なんて勝手な想いを巡らせていたら、ちゃんと出席なさってました。


Malaysia's former Prime Minister Mahathir Mohamad (left) and his wife Siti Hasmah wave the country's flags during a parade at the historic Merdeka Square in downtown Kuala Lumpur, Friday, Aug. 31, 2
クアラルンプール中心街の歴史的なメルデカ広場で行われたパレードで 国旗を振る前首相のマハティール・モハマド博士とシティ・ハスマ夫人

拡大写真はスター新聞フォト・ギャラリーでご覧になれます。



VIP席なんだろうけど・・・、
トゥンは、どちらかと言うと後進国だったマレーシアを先進国に迫る国にまでに変えた人、これほどの偉業を成し遂げた人なのだから、首相やアンドリュー王子と一緒に中心に立つべきだ~! と私は不満でした。

でも、トゥンにとっては 座って式典に出席するだけでも大変なことだったんですね。
式典の後に、IJN 国立心臓病研究所に入院という記事が一面に出て、次の日は手術。 

新聞には、トゥンの手術は成功、術後の経過は良好だということしか書かれていない。
もっと詳しい記事がないかな・・?と探したら、ありました!



マハティール博士の長女、マリーナさんのブログ Rantings By MMです。

彼女のブログには、手術や術後の博士の様子、病院によるメディアへの報告、担当医の名前などが詳しく書かれています。
マリーナさんが撮ったマハティール博士の写真もあります。
博士の手を握るマリーナさんの手の写真(題名:Me and Dad holding hands)には、感動してしまいました。

彼女の9月5日の投稿記事を訳します。


こんにちは、みなさん。 手術から一日経ち、父の病状は良好です。 これまでの進展に医者は満足していますが、手術を受けた他の患者と同じく これからも監視は続けられます。

今朝、父と面会し、執刀医のヤーヤ先生、ロザリ先生にお話を聞くことができました。 1989年に父が受けた最初のバイパス手術と比べ、今では何でもコンピュータ化されたことなどを話しあいました。技術は飛躍的に進歩し、全てがコンピュータ化されています。 例えば投薬法、私達は冗談半分に「ツインタワー」などと呼んでいますが、一瞬の狂いもなく、一回分の薬や投薬時間をコンピュータが管理しています。 それにスラザリは、父が目覚めた時に太陽が見えるか心配していますが、それは大丈夫! 1989年(の手術の際)に父が収容された病室には窓がなく、何時だかわからず頭が混乱してしまったのですが、IJNのICU(集中治療室)には大きな窓があって光が一杯入ってくるので、患者は皆、目覚めた時には太陽が拝めるのです。 素晴しいでしょう?

母と私はICUで働く看護婦さんたちに見とれてしまいました。 私たちにはとても困難に見えた大変な仕事を、彼女達は静かにそして確実にこなしていました。 どうしてあんなに沢山の管を見分けることができるのでしょう? でも、きっとそれがトレーニングの成果というものなのですね。

私達にとっても、多くのことが前回と異なっています。 1989年に父が心臓発作を起こした時は、予想もしていなかったので、私自身も含め家族の何人かは外国に居ました。 ですから、急遽帰国の途に着いた時はとても不安でした。 そして、一週間以内にバイパス手術をすることを決断しなければなりませんでした。 家族みんなの心理状態は悲惨でした。

今回は、家族にも心の準備ができていました。 実際、二週間ほど前から手術の可能性を承知していましたし、一週間前には手術の日程も決まりました。 このことを秘密にし、真実とは言いがたい理由で多くの約束をキャンセルしなければならないのは辛いことでした。 (UKMジェンダー・スタディズの生徒さん達へ、昨日のワークショップでのスピーチをキャンセルしてしまって、ごめんなさい。 これでキャンセルの理由をご理解いただけるでしょう・・・) 先週の私の生活は、9月4日でストップして、それ以後は存在しなかったのです。 でも今は、神様のおかげで、言い逃れなどすることなく皆さんにある程度の確信を持ってお話できるようになりました。

とにかく、今日はまだ手術後一日目ですから、父はまだモニター看護されています。 でも、ヤーヤ先生が興味深いことをおっしゃいました。 父の年齢は82歳だけど、身体は60歳代の人間のものですって。 これは、本当に素晴しい遺伝子のおかげ(父には90を過ぎてた今も階段を平気で上り下りし、老眼鏡なしに読書のできるお姉さんがいます。)、そしてもちろん、規律正しい生活のおかげでしょう。 だから、みなさんも、体に良いものを食べ、運動して、体に良いことは全部しましょうね!

ーーーーー  マレー語  (私には翻訳不可能 誰か教えて!)-----

父のためのお祈りをありがとう。でも、父の順調な回復のためにはもう少しお祈りが必要のようです。

IJNの他の患者さんのためのお祈りもお願いしていいでしょうか? ICUに収容されている術後の患者は私の父だけではありません。 CCU(冠状疾患集中治療室)には私のいとこも含め、他にも何人かお祈りや真摯な思いやりを必要としている人達が居ます。

ほんとうにどうもありがとう。

追伸:ご期待に沿えず記事の更新ができずにごめんなさい。 でも、私もSMSや電話、そして訪問者の応対で忙しいのです。 それに母と一緒にすごす時間も必要です。 そういうわけで、この記事を投稿しようとする間に3回も中断してしまいました。



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トゥンクー・アブドゥル・ラフマン 首相時代の写真
- 2007/09/09(Sun) -
トゥンクー・アブドゥル・ラフマン   1903年2月8日~1990年12月6日 

マレー語で「トゥンクー」とは「王子」ですが、
 マレーシアで「トゥンクー」と言えば、初代首相のトゥンクー・アブドゥル・ラフマンのこと。
正式には、
  Tunku Abdul Rahman Putra Al-Haj ibni Almarhum Sultan Abdul Hamid Halim Shah 
  トゥンクー・アブドゥル・ラフマン・プトラ・アルハジ・イブニ・アルマルフム・スルタン・アブドゥル・ハミド・ハリム・シャー
トゥンクーは 「 Bapa Kemerdekaan (独立の父)」  または 「Bapa Malaysia (マレーシアの父)」 とも呼ばれています。

 


スター新聞にトゥンクー・アブドウル・ラフマン首相在任中の写真がありました。
拡大写真は スター新聞のウェブサイト 「フォト・ギャラリー」でご覧になれます。

In academia too: Tunku receiving award from Thailand's Chulalongkorn University in the 60s. On the right is the Thai PM. - 31 August, 2007
1960年代
タイのチュラロンコーン大学(Chulalongkorn University)から
学位を授与されるトゥンクー
トゥンクーの右はタイ首相



They came calling, too: Tunku (right) introducing Cambodia�s King Sihanouk to Tunku's daughter Tunku Khadijah at his home in Penang. - 31 August, 2007ペナンの自宅で
カンボジアのシアヌーク殿下(中央)に
娘のトゥンクー・カディジャを紹介するトゥンクー(右側)



Siamese roots: Tunku had a special relationship with Thailand (his mother was Siamese). The picture shows Tunku Abdul Rahman visiting Thailand in the 60s.  His son-in-law Datuk Syed Hussein was Second Secretary with the Malaysian Embassy. From right, the Malaysian Ambassador's wife Tunku Samsiah, Tunku, Tun Sharifah Rodziah, daughter Tunku Khadijah, son-in-law Syed Hussein, Malaysian Ambassador Tunku Ngah and his daughter母親がシャム人だったトゥンクー・アブドゥル・ラフマンはタイとは特別の結びつきがあった。 この写真は60年代に、トゥンクーがタイを訪れた時のもの。 義理の息子サイド・フセインはタイのマレーシア大使館の第二書記官だった。 右からマレーシア大使夫人のトゥンクー・サムシア、トゥンクー、トゥンクー・シャリファ・ロジア、娘のトゥンクー・カディジャ、義理の息子のサイド・フセイン、マレーシア大使のトゥンクー・ガーとその娘。



Close ties: Tunku(far left) pays a courtesy call on the King and Queen of Thailand. Tunku was awarded Thailand's highest honour Order of the White Elephant. Tunku Khadijah (Tunku's daughter living in Bangkok at the time) sitting between Queen Sirikit and Sharifah Rodziah).タイの王様と女王様を表敬訪問したトゥンクー(一番左側)トゥンクーはタイの最高の名誉である白象勲章を授与されている。 当時バンコックに住んでいたトゥンクー・カディジャ(トゥンクーの娘)が、シリキット女王とシャリファ・ロジア女史の間に座っている。




Royal visit: Tunku with the first Agong Tuanku Abdul Rahman,and Permaisuri Agong in the Cairo Room at the Residency. - 31 August, 2007
宮殿のカイロ・ルームにて
初代アゴンのトゥアンクー・アブドゥル・ラフマンと女王と一緒のトゥンクー



A dignified home: British dignitaries at The Residency. - 31 August, 2007トゥンクー宅を訪れた英国高官


50 years on: The new annexe of the Residency houses the Tunku Abdul Rahman memorial, with a huge image of the first Prime Minister declaring Independence.  2007- 31 August, 2007トゥンクー・アブドゥル・ラフマン住居記念館の新しい別館
独立宣言をする初代首相の巨大像がある



The passing of a legend: Tunku was laid to rest at the Jalan Langgar royal mausoleum in Alor Star. And great grandson Johan still goes to visit. - 31 August, 2007トゥンクーはアロースターのランガー通り(Jalan Langgar)にある王室の墓に埋葬されています
ひ孫のジョハン君は、ここに眠るトゥンクーのお参りによく来ます



Flying welcome: A little Sharifah Intan is swept off her feet by Tunku upon his return to Kuala Lumpur after a visit abroad in 1958. - 31 August, 2007
1958年、海外への公式訪問からクアラルンプールに戻った時
当時 まだ小さかったシャリファ・インタンの出迎えを受け、抱き上げるトゥンクー



A grand dream come true: Tunku cutting a cake in the shape of the Perkim building after the opening of the building. Perkim was one of Tunku�s major projects well into his retirement. - 31 Augu
パキム・ビルの形をしたケーキにナイフを入れるトゥンクー
パキムは、引退前のトゥンクーの大きなプロジェクトだった



Hard at work: The Tunku at his desk in his Penang residence at Ayer Rajah Road. The Tunku always had his pipes at hand. - 31 August, 2007
ペナンのアエ・ラジャ通り(Ayer Rajah Road)にある自宅で
   執務中のトゥンクー
トゥンクーの手にはいつもパイプがあった



Date with destiny: Tunku looking at fruits from the country�s first fruiting date palm. The date palm was planted in Baling. - 31 August, 2007
初めてのマレーシア産ナツメヤシを手にし、眺めるトゥンクー
最初のナツメヤシはバリン(Baling)に植えられた



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政治家・王族の投稿リスト
- 2007/09/13(Thu) -
王族

 歴代アゴン
 称号・尊称の種類・並び方 
 Datuk とDato'
 トゥンとタンスリ
 44歳の若き次期国王
 イスタナ・ネガラ宮殿
 スランゴール州スルタン
 ダトー・ジミー・チューと大英帝国勲章
 第13代アゴン即位式
 スルタナの贈り物
 アゴン就任記念切手
 アゴン就任式のプロトコル
 アゴン就任式の衣装
 品切れになった国王の写真




政治家
 
 政府閣僚名

 トゥンクー・アブドゥル・ラフマン  
   首相時代の写真   独立宣言ビデオ   マレーシア・サッカーの父

 トゥン・マハティール・モハマド博士
   トゥンとマングリッシュ   講演会ビデオ   長女マリーナのエッセイ  
   バダウィ首相と会談後のインタビュー・ビデオ(27/10/06)   心臓発作で入院(10/11/06) 
   退院(15/11/06)   サダムの死刑執行   ノーベル賞ノミネート 
   トゥン経営のパン屋さん   バイパス手術を受けたトゥン
       
 アブドゥラ・バダウィ首相
   結婚記者会見語録   結婚のニュース   エンドン夫人に捧げる本
   マハティール博士の「政治的自殺行為」説に反論する首相   首相就任演説

 ナジブ・ラザック副首相
   経歴

 トゥンクー・アドナン観光相
   観光相の暴言1   暴言に至った理由&経歴

 ザカリア・マット・デロス(元国会議員クラン地区)
   お城のような自宅



 
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カルピスじゃなくてカルピコだって・・・
- 2007/09/15(Sat) -
calpico1
ロット10のイセタン・スーパーにお買い物に行ったら、
入り口近くに 韓国製のお菓子類と一緒にカルピスが並んでいました。

カルピス大好き!
早速 手に取ってカゴに入れようとしたら、

「アレッ! これ、カルピスじゃないよ。」
カルピコだって・・・」


名前からして、なんちゃって・・のこの飲み物、本物なの~?
でも 両脇は本物の味付きカルピスで固められてるし、英語で書かれた製造元を見ても、ちゃんと同じカルピスの製造元でした。



calpico
このカルピスは、Made In Japanと書かれた輸出用のようです。
両脇のみかん味フジリンゴ味は国内用のパッキング。 
で、名前はちゃんとカルピス


ということは、外国で売られているカルピスはカルピコと言う名前なのかな?


どうしてカルピスではなく カルピコなの?

調べてみました。

カルピスを英語表記すると Calpis 
Calpis (カルピス) を英語で発音すると Cow Piss (カウ・ピス)に聞こえる・・・らしい 。

Cow (牛)+ Piss (おしっこ) 
        → 牛のおしっこ・・・じゃあ、売れないよね。

だから
 Calpicoという可愛い名前に変えられたそうです。


この500MLのカルピコ
      お値段は RM9.90 (約330円)


カルピスの名前の由来は? → ここ をクリックしてね。
外国で販売されているカルピス製品をご覧になりたい方は、ここ をクリックしてね。




同様に、日本と外国じゃ商品名が違うもの。

七味唐辛子 → NANAMI(ナナミ)
   一味(Ichimi) と 七味(Shichimi) の発音が似ているため

ポッキー → ロッキー マレーシアで販売されているタイ製のポッキー)
   理由は、・・・・・わかりません。  
    ↓
    ↓
    ↓

【追記】 
  チェンマイ写真日記のペガサスさんが 
  「ポッキーはポーク(豚肉)を連想させるから」ではないかと教えてくださいました。
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