Restoran Muarは、
ブキット・ビンタンのアロー通りのお隣、
テンカット・トンシン通りにある
ニョンヤ料理の店です。
Muar(ムア)とは、ジョホール州にある町の名前。
きっとお店の持ち主が、ムア出身の
ペラナカン(続に説明)なのでしょう。
店内には、昔のマラッカの街、
ニョンニャ・ババ(続に説明)の写真が飾ってあります。
右の写真は、1890年代のマラッカのジョンカー通り(Jonker Street)
現在のジョンカー通り、そしてマラッカの様子は、
マラッカ在住の
Tonyさんの
Tony’s Netでご覧になれます。
2~3人用 ランチセット 25.90ドル(=900円) ←RM1.00=35円で計算
空芯菜のブラチャン炒め
えびとイカの炒めもの
アッサム・パダス魚
これは追加オーダーの 「蒸し豆腐」
かかってるソースが美味しい!
お値段は6ドル (=210円)
これはチャンドール (Cendol)
コンデンスミルクのかかったカキ氷に小豆と緑のモノ(?)が入っている
ランチセットを注文すると 1リンギ(=35円)!
Restoran Muar Home Cooking Cuisine
No.6G, Tengkat Tong Shin,
Off Jalan Bukit Bintang
50200 Kuala Lumpur
Tel:603-2144-2072
バター・カイラン
蒸し煮ハーブチキン 蒸し豆腐
営業時間
Peranakan (ペラナカン)「ペラナカン」という言葉は 「現地人と結婚し同化した中国移民の子孫」 というインドネシア語からきています。
中国は、何時の時代も世界中の国々と貿易をしてきました。
1368~1644年の明朝時代、皇帝がマレー半島でも交易に最適地であるマラッカとの関係を強化するため、スルタンの所に王女の
ハン・リーポー・Hang Li Poをお嫁入りさせました。
王女さまは500人の家来を連れてマラッカにやって来ました。この王女さまの家来がマラッカの
チャイナ・ヒル・China Hillに住むようになりました。
彼らが
マレーシアに定住した最初の中国人です。
マラッカに定住した家来たちは、現地のマレー人女性と結婚し、中国人とマレー人の混血「
ペラナカン」第一世代が誕生しました。
ペラナカンの男性は「
ババ・Baba」、女性は「
ニョンニャ・Nyonya」と呼ばれます。
ババやニョンヤは、中国の習慣・伝統を守りながらも、マレーの生活様式を取り入れ、
マレーシアに溶け込んで行きました。
ですが、ペラナカンのコミュニティ内で結婚することを好んだため、彼らには独特の文化が生まれました。
マレー語を話し、マレーのサロン・ケバヤを纏い、結婚式も伝統的なマレー式です。
このユニークな中国とマレーの文化の融合から、
ニョンヤ料理が生まれました。
ペラナカンである
ババや
ニョンニャは、イギリスの支配とともにペナンやシンガポールにも移り住むようになりました。
1791~1824年のペナン、シンガポール、マラッカ海峡は、イギリスの支配下にあったため
ストレイト・セトルメントStraits Settlements(海峡の定住地)と呼ばれていました。
そのため、ペナンやシンガポールに定住したペラナカンは、
ストレート・チャイニーズStraits Chineseとも呼ばれます。